鶴ヶ城のリニューアル

会津若松城鶴ヶ城」は去年からの工事で、この春赤瓦の鶴ヶ城になりました。
(去年来た時は改装工事中でシート掛かって全く城を見れなくて、城内の歴史展示物や説明資料を熱心に親子で見たんです)
会津鶴ヶ城。好きですね〜。
修学旅行に行きましたよね?鶴ヶ城飯盛山で木刀買いましたよね?
幕末ゲームで、佐幕派でプレーしませんでしたか?
年末時代劇白虎隊で泣きましたね〜。堀内孝雄の愛しき日々もたまらないですよね。
♪(遠い目)もうぉ少しぃ…時が…ゆる〜やか〜でぇ、(握り拳)あ〜あったん、(睨み)ならぁ〜♪
あ〜、カラオケ唄いてえ

幕末の鶴ヶ城は赤瓦だったんですよ。白虎隊はこの赤瓦の城に夢と願いを託し、そして戦乱に巻き込まれながらついに飯盛山での最期を迎えるわけです。
夢と願い。「天下人の城」じゃない「群雄の城たるべき」だから、託したくなりますね。

戊辰戦争の敗北は政治的な側面も大きいかも知れませんが、戦略的には江戸開城前・いや鳥羽伏見の敗戦直後でも幕府側はまだ拮抗した勢力でいれたはずです。海運・海軍は幕府が先手を打ってますし(勝海舟や海軍操練所)、既存の藩の配置は古くの家康の大名配置で関が原をもって西日本をガッチリ受け止める仕組みは出来てました。海と陸でしっかり封鎖し、幕府側の通商国と利のいい交易を働きかけ時間をかけて近代化を図り遅れを挽回せねばならなかったのです。
やはり「現実に則した意識」でしょう。現状を知る・臣下群衆をまとめる・戦略戦術をたてる。
そのためには自分・自分の集団について、自問自答でき妥協しない判断基準と、その基準のよりストイックな求道的なたゆまない改定が必要なのです。
…いや、すいません。小学生低学年のときに旧国名をそらんじたほどの歴史オタクです。忘れたデータが多いのですが、空の引き出しは多いです。
歴史について、兵法・戦略・戦術、などなどクダクダ酒飲みながら語りたいと思ってんですわ。

あっちは東南(武家屋敷・東山温泉)?それとも東北(飯盛山)?
分かんね。高くて足がすくんでダメダメでした〜